おしらせ


2017/03/28

High-speed Petri part 0 (prologue): ペトリの高速標準レンズ part 0(プロローグ)


ペトリカメラの高速標準レンズ 
part 0(プロローグ)
ペトリカメラ(Petri Camera Co.)は大正時代にカメラの製造をはじめた日本では古い歴史を持つカメラメーカーです。創業は1907年で、栗林庸二という人物が彼の友人や親族ら20名と東京都下谷区(現在の台東区付近)に立ち上げた栗林製作所を前身としています(文献[1-3])。この製作所の当初の事業内容はカメラや写真用品の販売と修理でしたが、1917年にカメラの開発にも着手し、社名を栗林写真機械製作所へと改称しています[2-3]。1920年代になると同社初のカメラであるスピードレフレックス(手札判乾板を使用する木製一眼レフ、1926年発売)や、これを小型化したスピードベビーレフレックス(アトム判乾板を使用、1927年発売)、アルミ合金製のミクニカメラ(ハンドカメラでレンズはコンパー付のドイツ製、1928年発売)、木製のファーストカメラ(ハンドカメラ、1929年発売)等を次々と世に送り出し、カメラメーカーとして認知されるようになります[2]。1928年に開催された大礼記念国産振興東京博覧会ではスピードレフレックスやミクニカメラが優良国産賞を受賞し[4,5]、栗林写真機械製作所の製品は一定の地位を得るようになります。1930年に創業者・栗林庸二が死去すると、事業所の経営は妻の栗林繁代に引き継がれます。この頃の栗林写真機械製作所は世界的な不況の余波を受けて経営が行き詰まり、大規模なリストラと事業規模の縮小を余儀なくされています[3]。カメラの需要が戻るのは日本経済が好転する1932年頃からで、同所はアルミ製のファーストカメラ(1932年発売)やロールフィルムに対応したファーストロールカメラ(1933年発売)など新製品を投入して事業を立て直します[2]。
第二次世界大戦が勃発すると下谷区の本工場と足立区梅島の分工場は軍の指定工場となり、同所はカメラの生産から離れて軍需品の生産を余儀なくされます。戦時中は主に潜水艦用の潜望鏡や爆撃機の距離計や照準器などを生産していましたが[3]、終戦直前の1945年に東京大空襲で下谷工場が大破し、栗林写真製作所は大きな被害をうけます。

同メーカーについてはペトリ@wikiに素晴らしい情報が掲示されており[8]、このWEBページに情報を供給している2chペトリカメラまとめサイトが現存するペトリカメラに関するあらゆる情報の整理と検証を続けています。WEBページは一般公開され誰でも閲覧できますので、本記事をまとめる際にも大いに参考にさせていただきました。このページには元ペトリの技術者や設計者の方からいただいた貴重な資料が満載されており、ペトリカメラ情報の中枢となっています。

さて、第二次世界大戦が終結すると、栗林写真機製作所は消失した下谷工場のかわりに梅島の分工場を本工場としてカメラの生産ラインを再建します。戦後はスプリングカメラのカロロン(1949年発売)や二眼レフカメラのペトリフレックス(1952年発売)などを発売しますが、徐々に35mm判のレンジファインダー機や一眼レフカメラへと軸足を移してゆきます。1959年に同社初の35mm一眼レフカメラとなるペトリペンタを世に送り出すと[3.7]、これ以降の栗林写真機製作所は一眼レフカメラの生産に力を注ぐようになります。同社がカメラの名称にペトリの商号を使うようになったのは1949年からで、ローマ法王ペトリ一世の高潔な人格と優れた才能、後世に永くその名を伝えられた故事にちなんで名づけられたとされています[7]。1962年には海外への輸出に力を入れるため梅島工場を立て直し、全長800メートルの長大な組み立てベルトコンベアーを導入して生産ラインを強化、社名も海外進出を考慮しペトリカメラへと変更しています[7]。ペトリの黄金期はこの頃で、1963年当時のペトリカメラは生産品の60%を海外(世界56か国)への輸出に当て、輸出量も前年比1.6倍~1.8倍で伸びていました。ペトリの工場では2600人の工員が働き、月産33000台以上のカメラを製造していたと記録されています[3]。

戦後の日本の一眼レフカメラはニコンFが頑丈さを武器に世界の報道分野を席巻してゆきますが、対するペトリは「ニコンのカメラと機能は一緒で価格は半値」をキャッチコピーに、アマチュア層に向けた低価格な商品を供給しています。レンズについては廉価製品ながら高級メーカーの製品に勝るとも劣らない優れた性能を誇っていました[6]。本ブログでは数回にわたり、ペトリカメラが1960年代に生産した一眼レフカメラ用の高速標準レンズを取り上げ紹介してゆきます。安いのに高性能!そんな意外性を楽しんでください。嬉しいことにクセもかなりあります。掲載予定のモデルは55mm F1.4, 55mm F1.7, 55mm F1.8, 55mm F2の4種類です。

参考文献
[1]日本写真機工業会編 戦後日本カメラ発展史 昭和46年3月1日 株式会社東興社
[2]研究報告「栗林写真機製作所の乾板カメラ(間違いだらけの文献、資料を正す)」小林昭夫 2015年5月AJCC研究会
[3]1910/1963 PETRI STORY, Petri Camera Comp. INC.:ペトリの公式資料ではあるものの記載の間違いや不可解な個所が非常に多く、全てをうのみにしないほうが良い
[4]三栄堂本店広告 アサヒカメラ(昭和3年9月)
[5]皆川カメラ店広告 アサヒカメラ(昭和4年4月)
[6]クラシックカメラ選書-22 レンズテスト第1集;クラシックカメラ選書-23 レンズテスト第2集
[7]ペトリカメラのしおり ペトリカメラ株式会社(発行年記載なし・昭和38年頃)[
[8] petri@wiki : ペトリ関連情報の中枢で、素晴らしい情報量です。  https://www52.atwiki.jp/petri/

6 件のコメント:

  1. I'm very interested in reading about these Petri lenses. I have the M42 mount 2/50 from the first Penta in my collection, as well as an 2.8/45 from a late production Petri SLR. Both are very interesting lenses.

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    1. > M42 mount 2/50 from the first Penta

      Optical design is very interesting and special.
      Nice lens you have!

      > as well as an 2.8/45 from a late production Petri SLR.
      > Both are very interesting lenses.

      I agree with you.
      Very special bokeh while the focus part is high resolution.

      Thank you for posting a message.


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  2. Petri@wiki管理人こと264です。
    Petri@wikiのトップには無断複製、引用禁止と書いていますが、データの転売や安易なコピペ出版を懸念してのもので、ペトリについて真摯に評価、研究される方々についてはご相談頂ければ都度対応を考えるべきと私は思います。
    ペトリ出版資料はペトリ工業の許諾の元掲載させていただいているので転載はできませんが、Petri@wikiの該当ページへのリンクを張ってもらうという対応はできると思います。
    また研究記事も同様の対応ができると思います。
    私は管理人ですがサイトの性格上多数の方が編集されているので、ページを書かれた方のご意見を伺うためにもまずはお声がけ頂ければ幸いです。

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    1. Petri@wiki管理人
      264様

      ご連絡ありがとうございました。
      少し厳格に受け止めてしまいましたが、
      ただしいアプローチを踏めばリンクでの引用は
      できることがわかりました。

      > ページを書かれた方のご意見を伺うためにもまずはお
      > 声がけ頂ければ幸いです。

      後ほどご挨拶させていただきます。
      お声がけありがとうございました。

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  3. コメントありがとうございました。
    ぜひ2chペトリスレッドにお寄りください。大歓迎です!
    ちょうど光学技術に詳しい方から55mmF1.8の設計についてコメントいただいたところです。

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    1. ありがとうございます。
      それは、楽しみです。よろしくお願いいたします。

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