おしらせ


2017/01/24

Steinheil München Gruppen-Antiplanet No.2(25mm dia.) 14cm F6.2




歴史の淀みを漂う珍レンズ達 part 2
大胆な設計が目を引くシュタインハイル社の極厚鏡玉
Steinheil München Gruppen-Antiplanet No.2(25mm dia.) 14cm F6.2
シュタインハイル グルッペン・アンチプラネット 
1881年に登場したシュタインハイル社のグルッペン・アンチプラネット(Gruppen-Antiplanet)。このレンズの特徴は何といっても極厚ガラスを用いた特異な設計であろう(上図・右)。その極厚ぶりときたら、19世紀のプリンと呼ぶしかない。レンズには収差を前後群でバランスさせる歴史上重要な技術が導入されており[文献2,3]、この技術は新ガラスの登場と並び、プロター1890年登場やウナー、テッサーなどの名レンズを生み出す原動力となった。キングスレークの本[2]の中にこの技術が生み出される経緯を辿ることができるので、軽くレビューしてみよう。
レンズを設計したのは同社創業者一家の2代目フーゴ・アドルフ・シュタインハイル博士(Hugo Adolph Steinheil[1832-1893]で、彼は収差理論の第一人者ザイデルの協力のもと1866年に名玉アプラナートを完成させている(下図・左)。アプラナートの登場は非点収差を除く4大収差を同時に補正できる高度なレンズが登場したことを意味しており、四隅まで歪曲の少ないレンズは当時画期的であった。この構成を採用したレンズが各社から発売され、アプラナートは大変な成功を収めている。アプラナートは前群と後群が完全対称な「複玉」と呼ばれるレンズであったが、この類のレンズでは遠方撮影時に収差のバランスが崩れ、特にコマ収差の補正が不十分になる性質があった(文献[2,3])。これに対応するため、シュタインハイルは前後群の対称性をやや崩した準対称型とすることで遠方撮影時でも充分な性能が得られるレンズを作ろうと試みた。その第一弾はアプラナートをベースに開発され、グルッペン・アプラナート(Gruppen Aplanat)という名で登場している(下図・中央,  文献[5])。彼は続いてグルッペン・アプラナートのクラウンガラスとフリントガラスの役割を逆転させてみた。すると、前群側の球面収差が大きな補正不足に陥ることがわかったので、後群側を過剰補正にすることで収差をどうにかバランスさせようと試みたのだ。その結果、偶然かどうかは定かではないが、接合面の異なる屈折作用により収差を打ち消す画期的な方法に辿りつき、この方法を採用したレンズを1881年に開発、グルッペン・アンチプラネット(Gruppen Antiplanet )の名で世に送り出している(文献[1])。ただし、前のレンズに対するアドバンテージは小さく、非点収差こそ僅かに良くなっていたがコマ収差は増大し、旧ガラスのみに頼る設計では倍率色収差も大きいと評価されている(文献[2,3])。
接合面の異なる屈折作用を利用したシュタインハイルの方法は後にツァイスのルドルフがプロターの開発に応用することで知られるようになり、設計者の名にちなんで「ルドルフの原理」と呼ばれるようになっている。

Aplanat(図・左)、Gruppen-Aplanat(図・中央)、Gruppen-Antiplanet(図・右)の構成図(カタログおよび特許資料[1,5]からのトレーススケッチ)。現代の写真用レンズは絞り羽を中心に前群と後群を向かい合わせに配置する設計形態が一般的であるが、この形態が登場したのは19世紀半ば頃と言われている。中でも前群と後群が対称な場合にはコマ収差・倍率色収差・歪曲の3収差の自動補正が可能になるため、複雑な計算を行わなくても性能の良いレンズが設計できるとあって、早期から研究がすすめられた。シュタインハイルの考案した3本のレンズは、まさにこうした潮流の中で生み育てられたレンズといえる




レンズのラインナップとカタログ記載
コマ収差や倍率色収差の補正が十分ではないという指摘[2,3]にも関わらず、シュタインハイル社のカタログには「シャープに写るレンズ」と記されており、通常の撮影に加え、ポートレート撮影、グループ撮影、建築写真、風景撮影、早撮り撮影(Instantaneous Work)、引き伸ばし撮影などマルチに使える万能レンズと紹介されている。レンズのラインナップは焦点距離 48mm(1+7/8 inch)の0番から焦点距離450mm(17+3/4inch)の7番までと、1b番と2b番までを含めた9種類のモデルが用意されていた。私が入手したのは焦点距離143mm(5+5/8inch)の2番で、推奨イメージフォーマットはポートレート撮影時が中判3x4フォーマット、無限遠(風景)撮影時が大判4x5フォーマットとのこと。おそらくポートレート撮影時において写真の四隅で収差の影響が大きくあらわれ、ボケ味にもその影響が顕著に出るのであろう。レンズは米国のAmerican Opticalが製造したSt.Louis Reversible Back Cameraという大判カメラに搭載されていた(文献[4])。
 
参考文献
[1] レンズの米国特許 US. Pat. 241437, A. Steinheil (May 10, 1881)
[2] Rudolf Kingslake, A History of Photographic Lens, Academic Press 1989
[3] 「レンズ設計の全て」 辻定彦著 電波新聞社
[4] Antique & 19th Century Cameras by R.Niederman (Click Here)
[5] グルッペン・アプラナートのドイツ特許 Pat.DE6189, A.Steinheil(1879)
[6] 「カメラ及びレンズ」 林一男 久保島信 著 写真技術講座1

焦点距離 約140mm, 口径比 約F6.2, 前玉径25mm, 絞り機構 スロット式, 鏡胴長(フード込) 38mm, 推奨イメージサークル 大判4x5インチ,  包括イメージサークル 29cm(大判8x9"ではコーナーが暗くなる), 重量(フランジリング込み) 187g
入手の経緯
今回紹介しているレンズは2016年8月にeBayを介してスペインの古典鏡胴専門セラーから275ユーロ+送料12.5ユーロの即決価格で落札購入した。オークションの記述は「1885年に製造されたシュタインハイルのグルッペン・アンチプラネット。経年にしては良い状態で外観は良好、ガラスは十分にクリアーでクリーン。支払いは銀行送金を好むが、ペイパルでの支払いにも対応できる」とのこと。届いたレンズは鏡胴こそ経年を感じるもののガラスは傷のない素晴らしい状態であった。ちなみにスロット式の絞り板が欠品だったので、自分でf9とf13の絞り板を自作することにした。


スロット式の絞り板はF9とF13を自作した。こういうのをつくるのは得意だ



 
撮影テスト
文献[3]ではコマ収差と倍率色収差が十分に補正できないレンズと解説されており、フレアやモヤモヤとした滲み、四隅でのカラーフリンジ等を覚悟していたが、実写からはこの予想とは少し違う結果が得られた。以下では中版6x6フォーマットと大判4x5フォーマットでの写真を順に見てゆく。撮影していて気付いた事だが、極厚鏡玉のため光の透過率の関係で露出がアンダーになりがちになる。撮影時にはシャッタースピードを少し遅らせると適正露出になるようだ。
 

中判カメラでの作例
機材: BRONICA S2, レンズフード装着, Sekonic L398
Film(6x6cm format): Kodak PORTRA 400/ Fujifilm PRO160NS
現像・スキャン:NORITSU QSS-3501(C41処理→16 BASE Direct Scan)

私の手に入れた焦点距離140mmのモデル(2番)は大判4x5フォーマットに準拠したイメージサークルをもつため、一回り小さな中判カメラのイメージフォーマットでは収差のよく出る四隅が切り落とされ、端正で無難な写りになる。光路の細い中判カメラでは鏡胴内部での迷い光の発生が懸念されるが、ブロニカで使ってみた限り全く問題はなく、安定した画質が得られた。大判カメラによる作例も後半に提示する。
近接から遠景まで距離によらず四隅まで安定した画質となり、背後のボケは開放でやや硬いもののよく整っている。グルグルボケや放射ボケは全くみられない。予想に反し開放でもフレアは少なく、ヌケのよいスッキリとした描写である。

F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format)


 
F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format)



F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format)

F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format)
F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format)
F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format

F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format










F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Fujifilm Pro160NS, 6x6 format)

F6.2(開放), 銀塩カラーネガフィルム(Kodak Portra 400, 6x6 format)





大判カメラでの作例
Film: Fujifilm PRO160NS (4x5 format)
機材:Pacemaker SpeedGraphic レンズフード装着
Scan: Epson GT-9700F

このレンズの本性を見るには大判4x5フォーマットのカメラで使う必要がある。中判6x6フォーマットでの端正な描写が一変し、開放では荒れ狂う収差の嵐となる。ピント部は四隅で像面が湾曲し、妙な立体感を醸し出しており、像面も割れて被写体の背後にはグルグルボケ、前方には放射ボケがみられる。ただし、フレアや滲みは少なくスッキリとヌケのよい描写で、コントラストも良好である。予想に反し、とても良く写るレンズであることがわかった。撮影テストを終えたあと文献[6]にこのレンズの描写に関するかなり正確な評価をみつけた。非点収差がやや厳しいものの、コマ収差はそれほど酷くはないのだとおもう。
 
F6.2(開放), 銀塩カラーネガ撮影(大判4x5フォーマット,  Fujifilm Pro160NS)  SCAN: epson GT-9700F 











F6.2(開放), 銀塩カラーネガ撮影(大判4x5フォーマット,  Fujifilm Pro160NS)  SCAN: epson GT-9700F 


F6.2(開放), 銀塩カラーネガ撮影(大判4x5フォーマット,  Fujifilm Pro160NS)  SCAN: epson GT-9700F 中央は高画質。グルグルボケと放射ボケが同時に発生し、妙な立体感を醸し出している。中判撮影では見ることのなかった激しい開放描写だ
F9, 銀塩カラーネガ撮影(大判4x5フォーマット,  Fujifilm Pro160NS)  SCAN: epson GT-9700F: 一段しぼると画質は安定し、ボケも穏やかになる

10 件のコメント:

  1. 19世紀のプリン!レンズを食べものに例えるのは珍しいですね笑

    最後の写真はちょい絞りとありますが、このレンズの絞りはどんな構造になっているんでしょうか?
    ウォーターハウス絞り(でしたっけ?)を差し込むスリットがあるように見受けられますが、それを使うのでしょうか。

    神童

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    1. 板状のスロット式絞りを隙間に差し込みます。
      絞り板は最初から欠品でしたので、F9, F13の板を自作で作りました。
      楽しいですよ。

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  2. 初めまして。こちらのサイトを拝見して、最近毎日ebayが日課になっています。
    一つ一つのレンズの生い立ちまで詳細に追いかけてあって、非常に読み応えがあり目が離せません。
     一つお伺いしたいのですが、このようなタイプのレンズですと、フランジバック長が不明なのですが、焦点距離から考えて、大体レンズ後端からセンサーまでの距離が焦点距離となるように延長筒+ヘリコイドで調整、という感じで良いのでしょうか、、。

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    1. こんばんは。はい、おおよそその通りです。レンズの後端からセンサーまでの距離(バックフォーカス)が焦点距離よりも少し短い長さです。ちなみに、延長筒は内面に反射防止処理があり、太い方が反射の影響が抑制され、画質的に有利です。

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    2. ご丁寧にありがとうございます。太い方、、というのは、以前、確かM52(でしたか?)のヘリコイドが有利という書き込みをされていらっしゃいましたね。。また、私は天体写真が本来の趣味なので、迷光は普段から悩まされており、延長筒内面に植毛紙を貼ろうか、塗料を塗ろうか、、とも考えておりました。個人的には一番有効なのは遮光環だと思いますが、ケラレの問題と、何より制作が面倒です。
       「バックフォーカスが焦点距離より少し短い」というのは、調べ方が悪いのでしょうが、どこを調べても書いておらず、大変困っておりました。ありがとうございました。

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    3. お返事あっりがとうございました。

      > 太い方、、というのは、以前、確かM52(でしたか?)のヘリコイドが
      > 有利という書き込みをされていらっしゃいましたね。

      はい。鏡胴内部が広い方が内壁に対して角度がつきますから反射は起こりにくくなりますし、反射が起こってもセンサーまでの距離が長くなりますので影響が小さくなります。

      > また、私は天体写真が本来の趣味なので、迷光は普段から悩まされており、
      > 延長筒内面に植毛紙を貼ろうか、塗料を塗ろうか、、とも考えておりました。

      反射防止塗料はいろいろ出ていますが、よほど高価なものではにかぎり、
      植毛の方が性能は良いと、詳しい方から教わりました。

      > 個人的には一番有効なのは遮光環だと思いますが、
      > ケラレの問題と、何より制作が面倒です。

      後玉側に遮光環(ハレーションカッター)をつけるのは自分もいろいろ試しましたが、効果ありますよね。ケラレが起こらないギリギリのとことを探る手間があります。

      > 「バックフォーカスが焦点距離より少し短い」というのは、調べ方が
      > 悪いのでしょうが、どこを調べても書いておらず、大変困っておりま
      > した。ありがとうございました。

      たとえばフランジバックの情報はいろいろネットに出ていますが
      一眼レフカメラ(35mm)のフランジバックはだいたい40mm~46mm
      あたりです。バックフォーカスはこれよりも数ミリ短いわけですが、
      焦点距離50mmの標準レンズではミラー干渉ギリギリのスケールと
      なっています。

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    4. またまた詳細にありがとうございます。
      それもこれも、ebayでつい調子に乗ってDerogy Aplanétique Nº 3という、フランジバックはおろか、接続ネジ径すら不明なレンズを買ってしまったので、延長筒が必要そうではあるものの、どの程度の長さかの見当すらつかなかった、、という次第です。現物が到着したら手持ち部品で試行錯誤してみます。
       ところで、望遠鏡の補正光学系(レデューサ/フラットナー)などでは、バックフォーカスが厳密に固定されていて、つまり最後尾にあるレンズからセンサーまでの距離は常に一定で、ピント合わせはあくまでも対物レンズと補正レンズの距離を移動させることで行なっているのですが、(カメラのレンズでも同様かと思います)この時代のレンズはバックフォーカスを移動させることでピントを合わせる、ということになるんですね??普段バックフォーカスが少しでもずれると、周辺像が途端に乱れる経験をしているので、このピント合わせは大丈夫なのかな??と思ってしまいます。我ながら素人全開な疑問だと思いますが、、。

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    5. ドロジーはフランスの古い真鍮鏡胴レンズですよね。楽しそうなものを入手されましたね。

      バックフォーカス固定式レンズは一般撮影用にもありますが、近い被写体をとる際に収差変動がおおきくなり、影響が少なからず出てきます。このブログではRoss Xpresがこの方式を採用したレンズでした。ヘリコイドを省きコストを抑えることができたため、採用されていた方式です。望遠鏡用レンズでは被写体が近接側に来ることがないので、バックフォーカス固定式でも充分な画質が保てたのでしょうね。納得しました。

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  3. こんばんは。
    最近暇があればebayを徘徊する日々になっています。何かを発症したようです。
    Derogy Aplanatですが、使用してみると意外と普通というか、想像以上に普通の写真が撮影できるようです。220ミリという焦点距離は、長すぎて使いづらいため、邪道と怒られそうですが途中にACクローズアップレンズを挿入し、短くして使っています。作例をいくつか上げてみました。
    https://www.flickr.com/photos/120406147@N08/albums/72157681304476586
    上の段は素のまま、下の段はクローズアップレンズを挿入したものです。
    一番右写真で星像を見ると、周辺像が極めて悪いようです。中央部とピント位置が大分ずれます。アプラナートはペッツバール和が大きく、周辺像に難があった、という記載を何処かで見つけたので、像面湾曲が大きいのでしょうか。また、クローズアップレンズなどという凸レンズを入れているので、さらに大きくしてしまっていると思います。星像が歪なのは赤道儀の設置がいい加減なせいです。色収差の小ささは逆に驚きで、ここまでハロがでないレンズは現在のものでもなかなか、、当時はEDレンズなど無いでしょうから、これは良い意味で意外でした。

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    1. ドロジーの写真ありがとうございました。220mmということは大判5x7フォーマットでしょうか?中央しかつかいませんので、画質は四隅まで均一ですね。この時代のレンズは像面が曲がっていて当然だと思います。確かにカラーフリンジ等の色ずれが目立ちませんね。

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