おしらせ


2009/12/11

VOMZ MIR-1B (МИР-1B) 37mm/F2.8 (M42)
ミール1B


半世紀もの間、基本設計を保ち続けた
ロシア・オールドレンズ界の伝説的なレンズ
 MIR-1Bは1992年代から2004年まで、ロシア・モスクワの北西400-500kmにある地方都市VologdaのVologda Optical-and Mechanical Plant(VOMZ)という光学機器メーカーで製造されたレトロフォーカス型広角レンズである。同メーカーはレンズの他に銃の照準器や暗視鏡などの軍需品、ミシンなどの日用機器を製造している。なるほど兵器を造っているメーカーのことだけはあり、レンズのデザインもどこか色気が無いというか兵器っぽい香りがする。しかし、こうした事実とは対照に、レンズにはMIR(平和)という穏やかな名がつけられている。
 さて、本品はカールツァイス・イエナのFlektogon 35mm/2.8(1952年リリース)をベースに1954年代にVav­ilov State Op­ti­cal In­sti­tuteによって設計され、1958年にベルギー・ブリュッセルの万博でグランプリを獲得したMIR-1の後継であり、1992年のマイナーチェンジを経て再リリースされた同シリーズの最終形態である。レンズを設計したのはD.S. Volsov(Д. С. Волосов)[1910-1980]という光学設計を専門とする物理学者で、彼はバリフォーカルレンズなどの複雑な光学設計法を1947年に開発するなどロシアの写真レンズ史の発展に寄与した人物である。モデルチェンジの度にデザインが変更されコンパクトにもなったが、基本設計に変更はなく、光学系はMIR-1と同一である。2004年まで製造されていたわけであるから、同一の光学系を持つレンズとしては極めて息の長いモデルと言える。グランプリを獲得したため、ロシアのレンズの中では伝説的なレンズとして語り継がれている。

 37mmというと焦点距離は奇異に思えるかもしれないが、35mmのレンズの多くが表示よりも焦点距離が若干長いのに対し、MIR-1Bの焦点距離は正確に37mmであることを考えると、実際の画角は35mmレンズより僅かに長い程度である。50㌦もあれば美品が買える極めて安価なレンズであるが、どこまで実力を発揮してくれるのか、その意外性を楽しみたい。

レンズ構成:5群6枚, 絞り値:F2.8-F16, 絞り羽根:10枚, プリセット絞り, 最小撮影距離:0.7, フィルター径:49mm, 重量(実測): 186g,  絞り羽根の枚数は10枚もあり解放から最小絞りまでほぼ円形。本品は1992年製のM42マウント仕様。マウント部に絞り連動ピンはついていない。ピン押しタイプのマウントアダプターを用いる必要性はない
 
入手の経緯
本品は2009年11月にeBayにてロシアの業者が新品という触れ込みで50㌦(4500円)にて販売していたものだ。本レンズのeBay相場は40㌦から50㌦くらい、送料・手数料込みで70㌦もあれば買える。国内相場は7000~8000円くらいであろう。即決価格で購入したが届いた品は僅かに使用感のある中古品であった。ちなみに先代のアルミ鏡胴モデルの方が相場価格はやや高く、eBayでの取り引き額は60㌦位である。中古市場の流通量は多いので、状態の良いものをじっくり選んで購入するとよいであろう。

撮影テスト
 Carl Zeiss JenaのFlektogonに近い設計を持つだけのことはあり、本品は優れた描写力を備えている。実際にフレクトゴンと撮り比べてみたところ、シャープネスはフレクトゴンと同等の高いレベルであり、開放絞りでも結像に甘さはない。モノコート仕様にしてはコントラストが高く、色のりはなかなか良い。倍率色収差や歪曲も良く補正されている。気になった点といえば、逆光撮影時にゴーストが出やすい事くらいだ。これだけの性能を持ちながらフレクトゴンの1/3から1/4の値段で買えてしまうのだから、コストパフォーマンスは抜群である。ピントの山が掴みにくいと言われることがあるが、結像が甘いからではなく、ヘリコイドの直進が他の一般的なレンズよりもゆっくりなためである。ピントを素早く合わせるには不便かもしれないが、じっくりと高い精度で合わせるには、むしろ好都合といえるだろう。絞り冠の回転が逆方向のため、慣れるまでにちょっと時間がかかる。最短撮影距離は70cmとやや物足りないかもしれない。以下にテスト撮影の結果を示す。

F8:アレレ、安物にしては凄くいい描写だぞ。右側に掲げられた赤の看板が実際よりも濃く派手な発色だ。空の青も濃い
F8 絞ればそこそこシャープに写る。木の辺りの暗部に締りがありコントラストが高いことがわかる。それにしてもヌケが良く、すっきりと写るいいレンズだ♪(早大理工新校舎)
F5.6 逆光になるとこの通りにゴーストがでる
F2.8 こちらも開放絞りでの結果。背景のボケはユラユラと乱れ面白い

撮影環境: MIR-1B + EOS Kiss x3 + ハクバ・ラバーフード


 このレンズに対する写真家の評価は賛否両論で、畏敬の念を抱く人もいれば酷評する人もいる。テスト撮影の結果を見る限りでは、かなり実力のあるレンズのようだ。グランプリを獲得したのもうなずける。

2009/12/03

Carl Zeiss Jena Flektogon (M42) 35/2.8(1st silver type) Restored!

焦点距離/絞り値: 35mm / F2.8-F16(プリセット絞り), 重量(実測):188g, フィルタ径:49mm,最短撮影距離:36cm, 本品はM42マウント用だがEXAKTAマウント用も存在する。本品はプリセット絞りである。マウント部に絞り連動ピンはついていないので、ピン押しタイプのマウントアダプターを用いる必要性はない。チューリップの蕾のような流線型の美しい鏡胴フォルムが特徴。レンズ名はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたのが由来である

現代のコーティングを纏い蘇った
新生フレクトゴン(初期玉)

 「えっ。クモリですか?」ヤフオクを通じてそれまで所有していたレンズを売却したところ、売却先である山形のnavyblueことYさんからメールで連絡があり、レンズの中玉にクモリが見つかったのだ。Yさんのメールには中玉に光を通した写真が添付されており、確かにクモリである。クモリが発生するとガラスの表面で光が散乱しフレアが発生する。また、レンズの屈折率が変化し、収差の補正計算に狂いが生じるため、レンズが本来持っている描写性能を発揮できなくなる。私はこのレンズを用いて過去に「親子三代フレクトゴン祭」と題したブログ記事を発信していた・・・。そう、フレクトゴン35mm、初期玉のシルバー鏡胴モデルである。
フレクトゴンの初期玉と言えば、東独VEBツァイス社のハリー・ツェルナーとルドルフ・ソリッシがcontax版Biometarをベースに設計し、1952年に登場したドイツ初の一眼レフカメラ用広角(レトロフォーカス)レンズである。現在も絶大な人気を誇るフレクトゴンシリーズはこのモデルからはじまった。レトロフォーカスとは、焦点(=フォーカス)をカメラ側へと後退(=レトロ)させるという意味である。広角レンズは本来後玉と焦点の距離(バックフォーカス)が短くなるため、これらの間にミラーの稼動域を必要とする一眼レフカメラへの搭載は構造的に不向きとされていた。この問題を克服するため光学系に凹レンズを挟み、焦点を後玉側からカメラ側へと後退させ、バックフォーカスを長くする方法が導入された。余分なレンズを1枚挟むのだから、暗くはなるし収差のコントロールもより高度になるが、この方法によって広角レンズが一眼レフカメラにも容易に搭載できるようになった。こうして生み出されたフレクトゴン35mmは一眼レフカメラ用広角レンズのパイオニア的存在なのだ。
再コーティング施工前のクモリ入りレンズ。このスケールからの肉眼によるクモリの発見は難しい

ところがレンズの中玉に強い光を当て拡大すると、この通り。はっきりとクモリが確認できる(Yさん提供)
 

さて、クモリのことを知った私はYさんに謝罪し、全額返金&返品で対応するつもりでいた。ところがYさんは自分で修理し所有することを希望された。申し訳ないので、せめて修理経費ぐらいは私で持たなくてはと一部返金を申し出た。これがきっかけでYさんとのメールによるやり取りが始まった。クモリに対するリペア方法はいろいろあるようだが、調べてみると2つの方法に大別できることがわかった。クモリが軽度の場合にはクリーニングやメンテの一環として、特殊な溶剤を用いた簡単な処置で対応する。溶剤の成分など詳しいことは分からないが、ある種の洗浄液のようなものを用いるらしい。レンズ表面の傷を拭きながら(傷を平らに削っているのだろうか?)、同時に洗浄する。ただし、この方法による改善は限定的で、クモリが重度の場合には古いコーティング皮膜を剥離し、表面を研磨してから、そのレンズに合わせた新しい皮膜を再蒸着する。 コーティングの再蒸着はクモリ取りの最後のカードなのである。その後やり取りを繰り返すうちに、Yさんにはフレクトゴンを完全に修理したいという気持ちが芽生え、問題の中玉に対しコーティングの再蒸着を施す完全な修理を行うことになった。それならばと、修理業者を何軒かあたってみることにした。問題なのは再コーティングにかかる施工費用である。WEB上では10万円だの何だのといった恐ろしい金額の情報が飛び交っていた。
修理の経緯
今回、コーティングの再蒸着をお願いしたのは山崎光学写真レンズ研究所である。蒸着ともなれば費用はレンズの売却代金を超えてしまうのではないかという懸念があったが、見積もりはホッとする額であった。この業者は私の職場近くに工房を構える修理のプロであり、雑誌などで度々紹介され高い評価を集めている。電話で訪問のアポをとり、後玉に不具合のあるフレクトゴン25mm/F4を持ち込んで見積もり依頼をしてみた。工房の奥から私を出迎えてくれたのは物腰の柔らかそうな職人さんであった。その横で若いお弟子さんのような方がせっせと作業をしていた。私の珍品フレクトゴン25mmを見るや「あんたフレクトゴン好きなの?・・・そう。ニコリ」である。2~3言葉を交わした後にフレクトゴン25mmの修理の見積もりをお願いした。私のフレクトゴン25は後玉径が約1cmと小さく、この工房の機械で対応できる1.5cm径を下回るサイズのため、残念ながら修理ができないことがわかった。しかし、再蒸着に必要な大体の価格帯を尋ねる事はできた。山崎光学の職人さんはわざわざ足を運びレンズを持ち込んだ私を労うかのように、後玉に対して何か特別の溶剤を塗ってくれた。「だいぶ良くなったでしょう?あなたのレンズはクモリではなくコーティングが焼きついているだけなので、これで大丈夫」と、イギリスから取り寄せた特別の溶剤で私のフレクトゴン25に簡単な応急処置をしてくださった。みると透明感がアップし少し改善している。目から鱗であった。職人さんは別れ際の私に対し、「このレンズはまだまだ使えます。大切にしていい写真を撮ってください」と優しい言葉をくれた。再コーティングの費用もリーズナブルだし、本命の1st-silverフレクトゴンの修理は山崎光学に依頼したい気持ちでいっぱいになった。そして後日、Yさんと相談し1st-silverの修理を山崎光学にお願いすることになった。
さて、この種の修理は初めての経験なので、どんな状態に仕上がって帰ってくるのだろうかと興味津々であった。嬉しい事にYさんは修理上がりのフレクトゴンを私に貸してくださるという。なんと寛大な方なのだろうと感心した。
レンズは約20日で山崎光学からYさんの元に戻った。下の写真のようにクモリはすっかりと取れ、中玉はクリアーになっていた。光を通すと紫色の反射光が誇らしげに輝いていた。うん、これならいい写真が撮れそうである。 山崎光学写真レンズ研究所の修理工によれば、蒸着を施す皮膜はレンズ1本1本に合わせ、本来の規格と全く同じになるよう調整されており、レンズ本来の描写を変えてしまう事はないとのこと。驚きの技術力である。
再コーティングを終え帰ってきた新生フレクトゴン。クリアな中玉だ

試写テスト
クモリを抱えたフレクトゴンの描写(前回ブログ参照)に対し、改善後のフレクトゴンの描写力は次のように向上した。

1.シャープネスの向上
改善前の1st-silverフレクトゴンはシャープネスが2ndや3rdよりも低く、特に画像周辺部でのシャープネスの低下が著しかった。原因はクモリがガラス表面における光の屈折率を変えてしまい、収差の補正計算に狂いが生じていたためである。次の写真を見て欲しい。改善後のレンズは画像の中心部はもちろん周辺部における比較においても、2nd-zeblaのシャープネスとほぼ同じレベルになった。
マンションのタイルを1.5m離れた位置から撮影した。画像周辺部(右下)を拡大した結果が次の写真である

左列が1st-silverで右列が2nd-zeblaによる撮影結果だ。写真画像をクリックするとさらに拡大した画像が表示される。前回同様に1st-silverと2nd-zeblaは3rd-blackよりも若干赤が強くでるようだ。両者の解像感は肉薄しており、肉眼で優劣を着けるのは難しい

2.再コーティングにより発色の性質に変化はあったか?
1st-silverと2nd-zeblaの発色は良く似ており、3rd-blackよりも赤や黄色などの暖色系が強くウォームトーン調になることを前回のブログ記事で示した。今回のテスト結果[上のタイル写真参照]においてもその傾向に変化はなかった。ただし、以下の写真に示すように2ndの方が1stよりも極僅かに黄色味を帯びることがわかった。
F2.8: 1st-silverの方が背景のアウトフォーカス部にある木の枝が僅かに白っぽいのに対し、2nd-zeblaのほうが僅かに黄色っぽい。中央下部の植木の葉も2ndの方が極僅かに黄色味が強い。シャッタースピードは同じで露出補正レベルは両方とも±0EVである

一部を拡大したもの。注意深く比較すると1st-silverよりも2nd-zeblaの方が若干黄色味が強いことがわかる
3.フレアの抑制とコントラストの向上:何と2nd-zeblaよりもフレアが出にくくなってしまった・・・
改善前の1st-silverは明らかに2nd-zeblaや3rd-blackよりもフレアが出やすかった。原因はやはり、中玉のクモリである。これにより光の透過率が悪くなり、レンズ内で内面反射が起こりやすくなっていたのである。フレアの影響は晴天下の撮影において特に顕著であり、クモリをとる前の比較では1st-silverの方が2nd-zeblaよりもコントラストが低下し、画像全体が白っぽくなっていた。しかし、改善後の1st-flektogonは光の透過率が上がりフレアが出にくくなった。暗部が落ち着きを取り戻し、メリハリの効いた描写になるとともに、画像全面的にもヌケの良い力強い発色が蘇ったようだ。最も驚いたのは逆光下での撮影におけるフレアの発生レベルである。明らかに1st-silverの方が2nd-zeblaよりもフレアの発生が少ないのである[写真(下)参照]。一瞬2nd-zeblaにクモリがあるのではと疑ったが、注意深く調べてもクモリはない。はたしてこの結果は新しく蒸着したコーティングの威力なのだろうか?興味深い結果である。6枚もあるレンズ構成のうちの中玉を1~2枚クリアにしただけで、ここまで描写力が向上するとは思えなかったので、逆光下で何度も同じようなテストを繰り返た。しかし結果は同じで、1st-silverの方が2nd-zeblaよりも逆光に強くなっていた。

F5.6 逆光での撮影結果。木の枝や葉にフレアの発生が確認できる。明らかに2ndの方が白っぽく、フレアが強く発生している

上段の写真の木の枝を拡大したもの。明らかに2nd-zeblaの方が白っぽくくすんでいる。フレアのせいだろう。1stの方が緑が鮮やかだ

F4: 今度は逆光下で遠景を撮影した結果である。遠景の木を御覧いただきたい。ここでも1st-silverの方が2nd-zeblaよりもフレアが出にくいという結果になった

4. レベル曲線の比較
1st-silverと2nd-zeblaの輝度レベル曲線は大変良く似ており、暗部の立ち上がり方や明部の落ち方などそっくりである。中央に2本のピークが立っており、このピークの上下関係に2本のレンズの性質の差異がみられる。1st-silverは明るいほうのピーク(図の青丸)が大きく2nd-zeblaは暗いほうのピーク(赤丸)が大きい。フレアの発生の影響が無い場合、2nd-zeblaの方が暗部をきちんと拾うようだ。
上の写真に対する輝度レベルの分布曲線。左が1st-silverで右が2nd-zeblaである

山崎光学で再蒸着をしたのは単層とはいえ現代的なコーティング皮膜である。1950~1960年頃のコーティング皮膜よりも光の透過率が高くなることは充分に考えられる。再コーティング後に1st-silverフレクトゴンの描写力が向上したのはあたりまえの結果である。しかし、それが2nd-zeblaよりも優れたレベルになったのは大変興味深い結果である。新たに蒸着した中玉のコーティングにより、1st-silverフレクトゴンの光学系に対する光の透過率が2nd-zeblaフレクトゴンのそれを上回るようになったということだろう。

テスト撮影の環境:Flektogon 35/2.8 + EOS kiss x3 + PETRI metal hood

黒いカメラに着けると存在感が増す

オーナーのYさんによる撮影サンプル
最後にYさんから届いた新生フレクトゴンの試写サンプルを掲示し、再度、レンズを新しいオーナーの元に送り届けたいと思う。新生1stフレクトゴンよ、21世紀も活躍してくれよ!!

先週の土曜日の試写でフィルムを変えたら、こってりした色が出ました。フレクトゴンは色のバランスが良いように思います。(Yさんによるコメント&写真提供)

逆光で豪快にゴースト&フレアの発生を狙っている。暗部はレストア前よりも締りがあるように感じる(Yさん写真提供)

手前の苔は肉眼でみた緑よりも明るく派手に見える(Yさん提供/コメントも)
★Yさんの撮影環境:FLEKTOGON 35/2.8(1st) + PENTAX LX(BLACK)