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2021/09/08

試写記録:Voigtländer Heliar 7.5cm F3.5

グラマーな写りで世の写真家たちを魅了した

フォクトレンダーのフラッグシップレンズ

試写記録:Voigtländer HELIAR 7.5cm F3.5

ヘリアーをもう一本手に入れる機会がありましたので、以前書いた記事に中判デジタル機で撮影した写真を追加することにしました。ここでは追加部分のみを抜粋して記しますが、記事の完全版をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。

ヘリアーと言えば昭和天皇ご夫妻の御真影(ごしんえい)にも採用されたことから日本では別格視されるようになり、昔は写真館などで家宝のように大切に扱われてきたそうです[1]。このレンズの描写は見たままの姿を忠実にとらえ再現するだけでなく、被写体の美しさを引き立て、格調高く仕立てる効果があり、御真影に採用されたのもそのためでしょう。時代的に撮影に使用されたのはDynar型の3代目ヘリアーだったであろうと思いますが、こういう歴史の舞台や映画の名作などで活躍したレンズに思いを寄せ、伝説と共に写真撮影を楽しむのも、オールドレンズの魅力の一つと言えます。さて、へリアーを最新のデジタル中判センサーを搭載したFujifilmのGFX100Sで使用してみました。

 

Heliar 7.5cm F3.5 (Bessa66用): 前玉回転式, 最短撮影距離 1m, F3.5-F16, 絞り羽10枚, 重量(外部ヘリコイド除く) 75g

 

 

デジカメへのマウント

今回入手したへリアーはBessa66という昔のスプリングカメラに付いていたレンズシャッター方式のレンズです。レンズはシャッターとともに固定リング1枚でカメラに付いており、カメラの裏蓋を開ければ蛇腹の裏側から固定リングを外すことができます。再び元のBessa66に戻して使えるよう、固定リングは大切に保管しておきましょう。さて、今回のレンズはCompur00という小型シャッターに搭載されており、マウント部はM25(ネジピッチ0.5mm)のネジマウントです。ここにeBayで入手したM25(x0.5mm)-M39変換リングとM39-M42ステップアップリングをはめれば、直進ヘリコイドに搭載することができ、M42レンズとして使用できるようになります。私が使用した直進ヘリコイドは21.5-47mmという変則的な繰り出し幅を持つ製品で、これがちょうど良かったのですが、現在は市販で手に入りませんので、17-31mmのタイプを購入しスペーサーを入れるなど工夫が必要になると思います。

Heliar(1921)の構成図。設計は3群5枚構成でトリプレットの前・後群を貼り合せレンズ」とした発展型。1921年にR.Richterが設計している。Richiterは後にZeissに移籍しTOPOGONを設計している

参考文献・資料

[1] クラシックカメラ専科No.8: スプリングカメラ特集

[2] 小西六本店 PR誌 昭和3年(1928年)3月
 
入手の経緯
Bessa66のヘリアー付きはeBayに何台か出ており、相場は400~500ドル程度で取引されているようです。私は2019年にeBayを介してポーランドのフォトホビーから300ドル+送料35ドルで手に入れました。カメラはファインダーにカビとクモリがありましたが、レンズの方はたいへん良好なコンディションでした。
 
撮影テスト
まずはスタジオ撮影の写真をどうぞ。モデルは「めめ猫妖怪」さんです。ここでのピント合わせは前玉回転ではなく外部ヘリコイドで行いました(前玉回転は無限遠の合焦位置に固定)。スタジオのライティング光では思っていた以上にスッキリとした現代的な写りとなりました。前ピンや後ピンで被写体の線が太くも遅くもなるところが面白く、このレンズの魔性なのだと思います。
F3.5(開放, 外部ヘリコイドで合焦) Fujifilm GFX100S(AWB,NN,Color:-2) 少しピントの位置を試行錯誤すると、こうやって細い描写になることもあれば・・・


 
F3.5(開放, 外部ヘリコイドで合焦) Fujifilm GFX100S(AWB,NN,Color:-2) そうかと思うと、線の太い描写にもなります

F3.5(開放, 外部ヘリコイドで合焦) Fujifilm GFX100S(AWB,NN,Color:-2) これくらいがちょど良いベストの艶やかさかな・・・。





























F3.5(開放, 外部ヘリコイドで合焦) Fujifilm GFX100S(AWB,NN,Color:-2)























 


続いて屋外での写真です。ピント合わせを外部ヘリコイドではなく前玉回転で行ったので、こちらがこのレンズ本来の写りということになるのでしょう。
自然光で撮影すると被写体の表面を微かなフレアが覆っていることがはっきりと見え、しかも、シャープネスには大きな影響を及ぼさない程度の絶妙なフレアです。トーンはやや軟調気味で雰囲気のある写りになります。GFXの中判デジタルセンサーで使用する限りですが、四隅でもしっかりとピントが合い、解像感はピント部全体にわたり均一でした。前玉を繰り出すとポートレート域では少しグルグルボケが目立つ印象をうけました。

F3.5(開放, 前玉回転で合焦) Fujifilm GFX100S(WB:⛅, NN)

F3.5(開放, 前玉回転で合焦) Fujifilm GFX100S(WB:⛅)

F3.5(開放, 前玉回転で合焦) Fujifilm GFX100S(WB:⛅)

F3.5(開放, 前玉回転で合焦) Fujifilm GFX100S(WB:⛅)

F3.5(開放, 前玉回転で合焦) Fujifilm GFX100S(WB:⛅, NN)




2020/12/27

Voigtländer COLOR-ULTRON 50mm F1.8 M42/QBM muont



 
優れたガラス硝材が登場するとともにコンピュータによる自動設計技術が普及し、明るい標準レンズの代表格であるガウスタイプの設計は1970年代に成熟期を迎えます。過剰補正に頼らなくとも輪帯球面収差を無理なく補正でき、高いコントラストと解像力を両立させながら、素直なボケ、スッキリとしたヌケのよい開放描写を実現できるようになります。レンズ設計の関心はピント部からアウトフォーカス部へと移り、それまでボケ味のザワザワとしたレンズが大勢を占めていた中、ボケ味トロトロ系の美ボケレンズが各社から登場するようになります。ガウスタイプのレンズはここに来て新次元の領域に到達したわけです。

ウルトロン型レンズの集大成
グラッツェル博士のウルトロン
Voigtländer COLOR-ULTRON 50mm F1.8

カラー・ウルトロンはフォクトレンダーブランドの一眼レフカメラVSL-1に搭載する交換レンズとして1974年より供給された凹みULTRONの後継レンズです。凹みUltron同様に7枚玉の贅沢なレンズ構成を踏襲していますが、フロント部の第一レンズが凹メニスカスではなく弱い正パワーの凸レンズに変更されている点が大きな違いです(下図)。光学系の原型は1970年にZeiss Ikonから発売されたRolleiflex SL35用のCarl Zeiss Planar 1.8/50ですが、このPlanarに採用された拡張ガウスタイプの設計構成は元を辿れば凹みULTRON、さらに遡るとVoigtlander ULTRONからの流れを汲んでおり、カラー・ウルトロンが登場したことで設計構成が再びUltronブランドに回帰したわけです。Zeiss Ikonは1971年にカメラ産業から撤退し、Zeiss IkonブランドとVoigtlanderブランドの商標はシンガポール・ローライに譲渡されており、これ以降の両ブランドはレンズの設計こそドイツ本国でしたが、シンガポールで製造されました。レンズを設計したのはホロゴンやディスタゴンなど革新的なレンズの設計で知られるカール・ツァイスのグラッツェル博士(Erhard Glatzel 1925年-2002年)で、レンズの開発にあたっては前モデルまでの設計を担当したトロニエ博士の助言が反映されているそうです。
 



カラー・ウルトロンは凹みウルトロンよりもコントラストや発色の改善に力を注いでいますが、それでも解像力は十分に高く、コンピュータ設計により7枚玉の底力が遺憾なく発揮されています。天下のCarl ZeissがPlanarの名で発売したレンズと同一設計なわけですから実力は間違いありませんが、残念なのは生産国がシンガポールであたっため過小評価され、不遇な扱いをうけてきたことです。安価なわりに高性能でコストパフォーマンスは抜群に高く、マニアの間では誰もが認める隠れ名玉として一目置かれる存在となっています。
 
入手の経緯
レンズはeBayに豊富に流通しており、相場はQBMマウントのモデルが100ドル~150ドル程度、M42マウントのモデルが150~200ドル程度です。この値段の差はM42マウントのモデルの方が使用できる一眼レフカメラが多いためですが、現在はミラーレス機が主流となり、値段の安いQBMマウントのモデルでも多くのカメラで使用できます。何ら不自由はありません。日本国内では海外相場の1.5倍くらいの値段で取引されています。
 
Voigtländer COLOR-ULTRON 50mm F1.8(中央はM42マウント、右はRollei QBMマウント): フィルター径 49mm, 絞りF1.8-F16, 絞り羽 6枚構成, 最短撮影距離 0.45m, マウント規格 M42/Rollei QBM, 重量(実測)180(M42) /188g(QBM), マルチコーティング
  
撮影テスト
開放から解像力は高く、コントラストも十分で、現代のレンズに近い欠点の少ないレンズです。前モデルの凹みULTRONが持っていたシアン成分の発色の癖は完全になくなり、ハッとするような鮮やかな発色に出会えます。ボケは安定しており美しく、グルグルボケや放射ボケが目立つこともありません。ここまで高性能なレンズがこの程度の値段で入手できることは大変な驚きです。
 
F4 sony A7R2(WB:日光) マルチコーティングが良く働き、曇りの日でもコントラストは高いレベルをキープしています



F1.8(開放) sony A7R2(WB:日光)

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日光)aaa










F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日光) 定評どうりの凄い性能。開放でこの描写力はもう異次元です



左右接合: 左F4/ 右F1.8(開放): SONY A7R2(WB:日光) 


F1.8(開放) SONY A7R2(AWB) 

F1.8(開放) SONY A7R2(AWB) 
F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日陰) 


F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日陰)


F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F1.8(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

2020/10/01

トロニエの魔鏡3:Voigtländer Ultron 50mm F2

51歳のトロニエ博士(文献[1]に掲載されていた写真からのスケッチ転写)

 
ザイデルの5収差を満足のゆくレベルで補正する事はレンズ設計の理想ですが、5つを同時に高いレベルで補正することは、時に「より良いレンズ」を作るための重荷となりました。ガウスタイプのレンズ設計に心血を注いだトロニエ博士は試行錯誤の中で、これに拘る事をやめてみたのです。 
 
トロニエの魔鏡3
平面性を捨てた型破りのレンズ
Voigtländer ULTRON 50mm F2
Goerz, Schneider, Voigtländer, Farrand Opticalに籍を置き、写真用レンズの設計者として数多くの銘玉を世に送り出したAlbrecht-Wilhelm Tronnier[トロニエ博士](1902-1982)。レンズ設計の分野では収差を徹底的に取り除く事が良しとされてきたそれまでの基本的な考え方に疑問を抱き、収差を生かし、時には積極的に利用するという逆転の発想によって比類ないレンズを世に送り出してきました。独特な設計思想から生みだされた彼のレンズの描写には妙な迫力、写真の域をこえたリアリティがあり、周辺画質を犠牲にしてまで実現した中央部の描写には生命感が宿るとさえいわれています。今回はトロニエ博士が戦後に設計を手掛け、後に銘玉と呼ばれるようになった拡張ガウス型レンズの傑作ULTRON(ウルトロン)の魅力に迫りたいと思います。

ULTRONの開発の原点は同氏が戦前のシュナイダー時代に設計した2代目Xenon F2まで遡ります。若いエンジニアのTronnierはレンズの全方位的な性能を重視し、ライバル会社の半歩先をゆく製品の開発に心血を注いでいました。当時のライバル会社とはカールツァイスのことで、同社はSONNAR(ゾナー)やBIOTAR(ビオター)など大口径モデルのスター軍団を擁していました。これらに対抗するためTronnierが1934年に開発した新設計のレンズが2代目Xenon F2で、Xenonの構成にはコマ収差と像面湾曲の同時補正が可能な優れた性質が備わっていました[2]。トロニエがコマ収差の補正に力を注いだのはゾナーを意識したのかもしれません。しかし、如何に優れたレンズでも正攻法の設計思想では、ライバルと同じ土俵で戦うことに変わりはありません。Xenonはブランド力の高いライバル製品と貧差を争う熾烈な戦いを繰り広げることとなります。やがて、第二次世界大戦が勃発しドイツは戦火に巻き込まれてゆきます。

大戦中のトロニエは写真用レンズの開発から離れ、故郷ゲッティンゲンにある関連会社のISCOで航空偵察機用レンズや双眼鏡、照準器用の広角アイピースなど主に軍需品の開発に従事しました。ドイツ敗戦が濃厚となる終戦間際の1944年にISCOを離れゲッティンゲンに自身の設計事務所を開設して独立、イギリス占領政権の要請によりVoigtländer (フォクトレンダー)社の技術顧問に就任するとともに、同社とレンズ設計の供与に関するライセンス契約を結びます。この間に彼はXenonに置き換わる新型レンズULTRONの着想を得ることになります。

ULTRONの設計構成はXenonと全く同じでしたが、それまでの常識に囚われない独創的なアイデアが盛り込まれました。トロニエが研究対象としていたガウスタイプのレンズはザイデルの5収差を全て補正できる高い設計自由度を備えていましたが、コマ収差と像面湾曲の補正を強化することが当面の課題でした。この点においてはZeissのビオターも例外ではありません。ULTRONの開発でトロニエが導入したアイデアとは、5収差のうち像面湾曲の補正を捨て、残りの収差の補正に注力することでガウスタイプのレンズに備わった潜在力を極限まで引き上げるというものでした[3][注1-2]。潔く像面の平坦性を捨てたULTRONにグルグルボケは起こらず、Xenonの設計構成に由来する素性の良さでコマ収差の補正にもアグレッシブに取り組むことができたのです。こうして1950年に登場したULTRONは平面を撮ることこそ苦手でしたが、強い像面湾曲からくるやや誇張気味の立体感と中心部の優れた解像力、フレアの無いスッキリとしたヌケの良さ、素直なボケなど、当時のガウスタイプのレンズからは想像もできない新境地に到達、このレンズでしかとれない写真があることを世の写真家達に印象付けることとなったのです。ULTRONの描写に対して当時の人々は「異次元の写り」などと最高の誉め言葉で賞賛しました。XenonからUltronへの進化は、このレンズ構成の活かし方や収差の活用手段に対するトロニエ博士の発想の転換と成熟を意味していたのでした。
ULTRONの構成図[7]からのトレーススケッチ。設計構成は5群6枚でTronnierが戦前に設計し1934年からKodak Retinaに搭載されたXenon 50mm F2をベースとしています。像面湾曲が大きく非点収差の小さい収差設計は他のレンズには見られない特徴で、設計者の明らかな意図を感じるところです[3]。球面収差やコマ収差は良好に補正されており軸上色収差も小さいなど、他の部分はかなり良く補正されています。意図的に放置した像面湾曲からは強い立体感が得られ、背後のボケに影響を及ぼすサジタル像面はアンダーの側に大きく引き込まれたため、美しい後ボケが得られるようになりました[注3]

ULTRONは1950年に登場し、1967年までの17年間で台帳に記載された分だけでも212444本が製造されました[4]。これは、ほぼ同じ期間に約23万本が製造されたライツSummicron初期型(1953-1968年)と肩を並べるヒットと言えます。内訳はVitessa用が69149本で最も多く、続いてProminent I/II用が50030本、Vitomatic IIa用(1960年~1964年)が40288本、Vitomatic III用(1964年~1967年)が33017本、Rectaflex用が8584本、Vito III用が4050本、用途不明(記録なし)が7326本です。1968年にIcarex TM用の後継モデルCarl Zeiss ULTRON(通称凹みウルトロン)50mm F1.8が登場したことで製造中止となっています。ちなみに、後継製品を設計したのはTronnier, Eggert, Uberhagenの3名で、いずれもVoigtländer所属のレンズ設計士です[5]。

ズミクロンとウルトロンはある意味で対照的なレンズなのだと思います。ズミクロンは全方位的な描写力を高める正攻法の設計思想を極めることで生まれました。卓越した描写性能は誰もが認める名玉の中の名玉で、ゾナーすらもかすんで見えます。ただし、ウルトロンの魅力はそこではありません。ウルトロンの設計思想は、戦前のガウスタイプ劣勢時代の中で設計者が試行錯誤を重ねた末に辿り着いた「引き算の美学」なのです。
 
[注1]像面湾曲とは平面にピントを合わせても写真の四隅で平面がピンボケを起こしてしまう性質の収差で、イメージセンサーの側にできる結像面(像面)がお椀のようにレンズの側に湾曲してしまうために起こります。例えば学校などで大人数の集合写真を撮る場合、左右の隅の人はピントが合わず不鮮明に写ってしまいますが、昔はこれに対応するため隅の人には少し曲がった位置に立ってもらいました。

[注2]像面湾曲をしっかり補正すると他の補正をある程度は犠牲にしなければなりません。写真用レンズの収差補正の一般論として幾つかの文献には、像面湾曲の補正に拘らなければ他の全ての収差は比較的容易に補正できる事が述べられており、像面湾曲は太刀の悪い収差であることが伺えます[6]。

[注3] この方法は程度の差こそあれ、「ボケ味」に深い配慮をはらう日本のレンズ設計者がよく用いた美ボケのためのテクニック(グルグルボケ防止法)です。例えばW-Nikkor 3.5cm F2.5の設計は良い例ですので、こちらを参照してください。Tronnierはこの時代においてボケに対する深い認識と配慮を持った稀有なドイツ人設計士だったのかもしれませんね。
 
参考文献
[1]Voigtländer "weil das Objectiv so gut ist", Voigtländer A.G., Kameras, Objectivem Zubehur; Voigtländer 1945-1986 UDO AFALTER(1988)
[2] Pat.US2627204A: Four-component gauss-type photographic objective of high lighttransmitting capacity
[3] 海外製カメラ試験報告VOL7:レンズ, 日本写真工業会昭和33年:  貴重なウルトロンの収差図が掲載されています
[4]フォクトレンダー台帳: Hartmut Thiele, Fabrikationsbuch Photooptik: Voigtlander, Privatdruck Munchen 2004
[5]3名共同で関連特許を1968年にスイス、1969年に米国(US3612663)およびドイツ(DE1797435A1/DE1797435B2/DE6605774U)で出願している
[6] カメラマンのための写真レンズの科学 吉田正太郎著 地人書館; Rudolf Kingslake, A History of the Photographic Lens, Academic Press (1989) 
[7] Vogtlander Prominent カタログ "because the lens is so good" (1954)


入手の経緯
今回、ブログで使用したのはProminent用に供給された1950年代製造の初期のモデルと、Vitomatic用に供給された1960年代製造の後期モデルです。ウルトロンは時代ごとに設計が微妙に異なっているようで、描写にもその違いが表れています。
Prominent用モデルは2013年にeBayを介してフォトホビーから225ドルの即決価格で手に入れました。このセラーの解説はいつものように簡素で、まいど博打に近い買い物でしたが、今回は未使用に近い美品が届きました。こういう時がよくあるので博打が後を絶たないわけです。現在の海外での取引相場は200ドルから300ドルあたりです。レンズをデジカメ等で使用する場合にはPROMINENT用の各種アダプターがebayなどに出ています。私はKiponのProminent-Leica Lアダプター(距離系連動タイプ)を入手しました。
続いてVitomatic IIa用モデルは2011年にカメラから外しM42にマウント改造された状態でeBayに出品されていたものを350ドルで手に入れました。入手元はイタリアのセラーです。届いたレンズがどうやってM42になっているのかを調べたところ、後玉の据え付け部分から本来ないはずの嵩上げリングが出てきました。リングを入れることで前後群の間隔を広げバックフォーカスを延長するという禁断の手法が持ち込まれていたのです。リングを外したところ無限が出なくなりましたので、自分でヘリコイドにのせライカL39マウントに再改造して使用することにしました。本来はカメラ固定式のモデルですので流通量は少なく、このレンズに対する定まった相場はありません。
PROMINENT用ULTRON 50mm F2: 重量(実測) 175g, フィルター径 45mm, 絞り羽 15枚, 最短撮影距離 1m, 絞り値 F2-F22, 設計構成 5群6枚XENON /ULTRON型(拡張ガウス型),  同型タイプの製造期間 1950-1958年(50030本:本個体は1953年製)
Vitomatic IIa/III用ULTRON(改造): 重量(実測)246g, フィルター径40.5mm, 絞り羽 7枚, 最短撮影距離 1m, 絞り値 F2-F22, 設計構成 5群6枚XENON / ULTRON型(拡張ガウス型),  同型タイプの製造期間 1960-1967年(73305本:本個体は1963年製)
 
撮影テスト
1950年代に製造されたプロミネント用ウルトロンよりも1960年代のビトマテック用ウルトロンの方がシャープネスがより高く、少しづつ設計が改良されていた事が判ります。両モデルとも解像力は高く、ピント部中央はとても緻密な画作りができます。高画素機のsony A7R2で用いても頼りなさを感じることが全くありません。開放でもスッキリとヌケがよく、被写体の息づかいを近くで感じるような、リアルな感覚に浸れます。背後のボケは距離によらず安定していて大きな乱れはありません。アウトフォーカス部の像の滲み方がとても綺麗で、背後のボケ味に硬さを感じることがあまりありません。開放で前ボケ側に微かなグルグルボケがみられることがあり、像面は確かに曲がっているようです。階調描写は流石に古い時代のレンズらしく、軟らかくなだらかで、自然光の入る室内での撮影や曇り日の屋外などには豊富な中間階調をいかしたダイナミックなトーンを楽しむことができます。私は全く平気なのですが四隅にやや光量落ちが目立つことがあります。発色はあっさりとしていてモノクロ写真とカラー写真の間をつくようなテイストで今回のメンズポートレートにもよくマッチしていました。この渋さはモノクロ時代のレンズならではのもの。敢えてカラーで使う方が面白いと自分は感じています。
 

Model 稲松悠太さん
Vitomatic IIa ULTRON 50mm F2
+
SONY A7R2
 
Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:曇天)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:曇天)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:曇天)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:曇天)
Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:曇天)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:曇天)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:日陰)
Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:日陰)
Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:日陰)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:日陰)

Vitomatic IIa Ultron @ F2(開放) + sony A7R2(WA:日陰)

 
写真を撮らせていただいた方は、モデルのみならず役者としても活躍されている稲松悠太さんです。稲松さんはオールドレンズに関心のある方で、以前はオールドニッコールを所持していらっしゃいました。現在はAPS-Cフォーマットのx-pro2をお使いとのことですので、シネマ用レンズとハーフサイズカメラ用レンズの魅力をお話ししたところ、目を輝かせ熱心に聞いてくださいました。とても魅力的な方です。
 
Prominent ULTRON 50mm F2
+
Bessa T(Fujifilm C200) 
 
Prominent ULTRON 2/50+Fujifilm C200カラーネガフィルム:  角生えてる
Prominent ULTRON 2/50+Fujifilm C200カラーネガフィルム: 角ですか・・・


Prominent ULTRON 50mm F2
+
SONY A7R2

Prominent Ultron @ F2(開放) sony A7R2(WB:日光)





Prominent Ultron @ F2(開放) sony A7R2(wb:日陰)







Prominent Ultron @F2(開放)sony A7R2(wb:日陰)

Prominent Ultron @ F2.8 sony A7R2(WB:日陰)