おしらせ


2012/10/22

コンタックス・ゾナーの末裔達3:Valdai Jupiter-3 50mm F1.5(LTM) and KMZ Jupiter-8 50mm F2(LTM)


結像が柔らかく、階調が軟らかいレンズと言えば、ハロやコマの影響で大抵はコントラストが低く発色は淡泊になりがちである。しかし、Jupiterシリーズはどうもこの典型には当てはまらないという印象をうける。コントラストの基本水準が高いためなのであろうか。開放付近でボンヤリとしたソフトな性格を示しながらも、コッテリとしたパンチ力のある色ノリが効き、頼りなさというものを全く感じさせないのである。

やわらかくも力強い
オールド・ゾナーの写りを手軽に楽しめる
ロシア製レンズ

シリーズ第3回はロシア製ゾナー型レンズのJupiter-3 50mm F1.5とJupiter-8 50mm F2である。これらは戦前にCarl Zeissによって開発されたSonnar 50mm F1.5(3群7枚構成)とSonnar 50mm F2(3群6枚構成)を始祖とする改良レンズである。戦前のSonnarには補正の難しい球面収差があり、開放付近では解像力の低下やハロの発生が顕著にみられたが、戦後のSonnarシリーズではガラス硝材の高性能化によって球面収差が効果的に補正できるようになり、解像力が向上、ハロも減少しコントラストが向上したことで、ヌケの良いシャープに写るレンズへと変貌を遂げている。一方、Sonnarとは腹違いの兄弟にあたるJupiterシリーズの描写には戦後のSonnarシリーズほどの洗練感はなく、そのおかげで階調描写には軟らかさが残っている。この性質は絞り込んでも失われることが無く、戦前のSonnarに近い豊饒な性格を引き継いでいるのである。シャープネスを向上させようと思えばできたはずであるが、ロシア人の美意識がそれを拒んだのか、あるいはベルテレ無き戦後の東独ツァイスから的確な支援が得られず、技術情報の不足と試行錯誤の過程によって偶然にもこのような特徴が導かれたのかもしれない。何はともあれ、やわらかい描写を優先させたことで本家Sonnarとの差別化を図ることができたのは、Jupiterにとって幸運だったに違いない。


Jupiterシリーズの兄弟レンズ達:左奥はJupiter-9, 中央手前はJupitere-3, 右奥はJupiter-8である。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテル
Jupiter-3とJupiter-8が登場したのは1950年で、設計者はKMZ(クラスノゴルスク機械工場)のロシア人技士M.D.Moltsevである。MoltsevはIndustar 50やJupiter-9の設計者としても知られている。初期のモデルは開発元のKMZが生産し、Leicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)マウント用と、旧Contax互換のKiev(キエフ)マウント用の2種が市場供給された。その後はZOMZ(ザゴルスク光学機械工場)やArsenal, Valdaiなどもレンズの生産に参入している。Jupiter-3は1988年、Jupiter-8は1992年以降まで生産されていた。
ロシアのカメラやレンズに詳しいSovietCamera.COMによると、Jupiter-3とJupiter-8には、それぞれ前身となるZK 50mm F1.5およびZK 50mm F2と呼ばれるモデルが存在し、1947年から1949年までKMZによって生産されていた。この頃までの光学系はSonnarのフルコピーだったという見方が強い。一方、現在KMZを傘下に持つZenitのホームページにはJupiter-3に関する貴重な記述がある。そこには、ツァイスから接収したガラスのストックが1953年に枯渇したため、Jupiter-3はロシア産の硝材に適合するようロシア国内で1954年に再設計され、リムの形状(レンズの曲率)が修正されたのだと記されている。Jupiter-3は翌1955年のモデルチェンジを境にシリアル番号がリセットされており、この時に新しい光学系へと置き換えられたものと考えられている。ただし、1949年に発効されたKMZの公式資料[1]には既にJUPITERシリーズの名称がついたレンズが登場している。これらの情報から総合的に判断すると、ZKと初期のJUPITERにはドイツ産ガラスが使われており、JUPITERシリーズは1953年に国産ガラスに適合させる再設計が施されたという判断になる。ZKからJUPITERへの名称変更は、国産ガラスを用いた再設計とはリンクしていないのだ。


[1] KMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(1949)





  

Jupiter-3: 光学系の構成 3群7枚, 絞り羽 13枚, 最短撮影距離 1m, 絞り F1.5-F22, フィルター径 40.5mm,重量(実測) 135g,  対応マウントはライカスクリュー(L39)互換のZorkiマウントと旧コンタックス互換のKievマウントの2種、シングルコーティング
Jupiter-3生産年表
  • 1947-1950:KMZがゾナーをベースにJupiter-3の前身となるZK 50mm F1.5を開発。Zorki用とKiev用が市場供給される
  • 1950:レンズの名称をJupiter-3に改称しKMZが生産を継続する
  • 1953: ツァイスから接収したJupiter-3用の硝材が枯渇する
  • 1954: ロシア国内で再設計される
  • 1955: シリアル番号がリセットされる。恐らく新しい光学系に変更
  • 1955-1956: KMZが生産
  • 1956-1975: ZOMZが生産を引き継ぐ
  • 1975-1988: Valdaiが生産を引き継ぐ
Jupiter-8: 光学系の構成 3群6枚, 絞り羽 9枚, 最短撮影距離 1m, 絞り F2-F22, フィルター径 40.5mm,重量(実測) 130g, 対応マウントはライカスクリュー(L39)互換のZorkiマウントと旧コンタックス互換のKievマウントの2種、シングルコーティング
Jupiter-8生産年表
  • 1947-1950:KMZがゾナーをベースにJupiter-8の前身となるZK 50mm F2を開発。Zorki用とKiev用が市場供給される
  • 1950:レンズの名称をJupiter-8に改称
  • 1950-1956: KMZがKievマウント用を生産
  • 1954-1981: ArsenalがKievマウント用モデルの生産をKMZから引き継ぐ
  • 1951-1990年代: KMZがZorkiマウント用を生産
なお、1970年代半ばにArsenalも少数だがZorkiマウント用モデルJupiter-8H(希少)を市場供給している。

入手先
Jupiter-3は2011年2月にウクライナの大手中古カメラ業者ペテルズブルグ・ディールから250㌦(送料込みの総額260㌦)の即決価格にて落札購入した。この業者は取り扱う商品の当たり外れが大きく、MINT(美品)と格付けされた商品でさえ全く油断できないことで知られている。購入した商品ついては同業者の付与する最高ランクのNEW ITEM(新品同様品)であったため、相場より高めだが迷わず購入した。JUPITER-3は劣化してしまった製品が多いので状態の良い品にはなかなか出会えない。カラーバリエーションにはブラックとシルバーの2種がありブラックモデルの方が流通量が少なく希少性が高い。製造年度が87年と記されており、88年まで製造されていた最後期の製造ロットである。現在のeBayにおける中古相場はシルバーモデルの劣化品で150㌦程度、状態の良好な品の場合には200~250ドル程度であろう。届いたレンズはガラスや外観こそ非常に綺麗な状態であったが、ヘリコイドリングの回転が重たかった。
続くJupiter-8は2012年5月にeBayを介してロシアのRUSSCAMERAから66ドルの即決価格(送料込みの合計86ドル)で入手した。状態は「新品」とのことで、レンズキャップとプラスティックケースが付いてきた。届いた個体は前玉に僅かなクリーンングマーク(拭き傷)が見られたものの、程度の良い綺麗なレンズであった。eBayでの取引相場は状態の良いもので50-70ドル程度であろう。

撮影テスト
Jupiterシリーズの特徴は何と言っても開放付近でみられる柔らかい結像、絞っても失われることのない軟らかい階調描写、そして、コッテリとした力強い色ノリではないだろうか。しっとりとした雰囲気の中にパンチ力の効いた高発色な性質が同居し、オールド・ゾナーならではの独特な描写表現を生み出すのである。
 
Jupiter-3 50mm F1.5: 開放絞り付近では解像力が低く、たいへんソフトな性格である。ハイライト部からは綺麗な滲み(ハロ)が発生し、画面全体としても薄い絹のベールを一枚被せたようなフレアっぽい写りとなる。一方、F2.8まで絞ると解像力とコントラストが向上し、スッキリとしたヌケの良い像が得られる。発色は開放付近で黄色(黄緑色?)に転ぶ傾向がみられ、絞るとノーマルになる。色ノリは開放から良好で、フレアが出るにも関わらず淡泊になることはない。絞れば濃度が増し、更に鮮やかになる。ただし、フィルム撮影では絞り込んだ際に色飽和を起こすケースがしばしばみられた。 ネガフィルム(フジカラー)との相性はとても良く、発色はノーマルである。開放付近でみられるボンヤリとしながらも色ノリのよい描写がとても印象的だ。背景のボケは穏やかで安定感があり、グルグルボケや放射ボケには無縁である。
 
Jupiter-8 50mm F2: 開放からスッキリとヌケが良く、コントラスト、色ノリともに良好だ。ハロはアウトフォーカス部にハイライト域がある場合でのみ僅かに発生する。深く絞れば解像力も向上し、シャープな像が得られる。背景のボケは僅かにグルグルと回るが、これは光学系の凹凸レンズの構成比から見ればごくあたりまえで、6枚玉のJupiter-8は凸レンズがやや過多となるため非点収差の影響が出やすいのだ。発色についてはJupiter-3と良く似た傾向を示す。


撮影機材
レンズ JUPITER-3  50mm F1.5 / JUPITER-8 50mm F2
デジタル撮影 Fujicolor X-Pro1


JUPITER-3@F1.5(開放)+ Fujifilm X-Pro1,AWB:  モヤモヤ、フワッとやわらかい結像だ。ボケも綺麗だ




Jupiter-3@F2.8 +Fujifilm X-Pro1, AWB: 少し絞ってもアウトフォーカス部のハイライト域は依然として綺麗に滲んでくれる。階調変化がなだらかなので後ボケが煩くなりすぎることはないようだ。色ノリはとても良いが、この作例では色飽和気味になっている

Jupiter-3@F1.5 +Fujifilm X-Pro1,AWB: こちらも開放でのフレアっぽい作例だが色ノリは充分によい



Jupiter-3@F1.5 +Fujifilm X-Pro1,AWB: カラーバランスが黄色に転んでいる。ちなみに室内灯は白色蛍光灯だ。アウトフォーカス部がフレアに包まれモヤモヤとしている。前ボケはとろけるように柔らかい




Jupiter-8@F2(開放)+Fujifilm X-Pro1,AWB: こんどはJupiter-8。線は細くないが開放からそこそこシャープに写る。色ノリも良好だ。フレアは開放でアウトフォーカス部にハイライトがある場合のみ僅かにでる


Jupiter-8@F2.8+Fujifilm X-Pro1,AWB: 一段絞るとコントラストが向上し、発色は更に鮮やかになる。炎天下という悪条件でも階調は硬くならないようだ

Jupiter-3@F5.6 +Fujifilm X-Pro1, AWB:  再びJpiter-3。絞ると発色はさらに鮮やかになる


Jupiter-3@F2 +Fujifilm X-Pro1, AWB: 僅かにピントを外すと柔らかく印象的に写る。今の場合、ピント部は赤ちゃんの側に置いている。階調がなだらかで美しい

Jupiter-3@F1.5 +Fujifilm X-Pro1, AWB:




Jupiter-8@F5.6+Fujifilm X-Pro1、AWB: Jupiter-8も絞り込めばこの様に高解像な写りである







「ソフトで色鮮やか」。やはり、この特徴こそがオールド・ゾナーの長所ではないだろうか。マイルドなやさしいフレアの中からガツンとインパクトのある高発色な被写体が浮かび上がる様子は、空気との境界面が少ないシンプルな設計のゾナーだからこそ実現できる大技だ。古いダブルガウス型レンズもコマ収差によってソフトな味を引き出せるが、こんなにも高発色にはならないし、現代のダブルガウス型レンズでは高発色な性質と引き換えに、フレアっぽいソフトな結像が得難くなっている。