おしらせ

 
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オールドレンズ写真学校11月ワークショップ
今月は11月23日(祝)に井の頭自然文化園で開催されます。すでに申し込みが殺到し、定員オーバーのためキャンセル待ちになっているようです。

オールドレンズ女子部
12月2日(土) 東京ドームシティ イルミネーション撮影散歩&お茶会 詳しくはこちら

TAIR-41Mのブログエントリーに写真を追加
Oo.ema.oOさんにオリンパスPENで撮影したタイ―ル41M(前記モデル)の写真を提供していただきました。

2011/03/10

トロニエの魔鏡1:銘玉の源流
Schneider-Kreuznach Xenon 50mm/F2

上のスケッチはXenonの設計を発表した
1925年当時のA.W.Tronnier。天才っぽい
雰囲気を漂わせ、何かを掴み取ろうとす
るかのような野心的な形相だ。とても
23歳とは思えない。メモを手に煙草をふ
かしながら何やら考え事をしている。目の
隈がひどく、Xenonの設計に過剰なまで
の情熱を費やしていたことがうかがえる。
の後退も年齢の割には早いように
見える
Goerz, Schneider, Voigtländer, 米国Farrand Opticalに籍を置き、写真用レンズの設計者として数多くの銘玉を世に送り出したAlbrecht-Wilhelm Tronnier[トロニエ博士](1902-1982)。レンズ設計の分野では収差を徹底的に取り除く事が良しとされてきたそれまでの基本的な考え方に疑問を抱き、収差を生かし、時には積極的に利用するという逆転の発想によって比類ないレンズを世に送り出してきた。独特な設計思想から生みだされた彼のレンズの描写には妙な迫力、写真の域をこえたリアリティがあり、周辺画質をやや犠牲にしてまで実現した中央部の描写には生命感が宿るとさえいわれている。20世紀最高のレンズ設計者と称えらながらも、自らの著書、技術者としての理念などは伝わっていない。レンズのブランド名とは対照に、それを設計した技士の名が世に出ることは当時から殆ど無かった。人々がTronnierの比類無い功績に気付きはじめたのは、おそらく彼がフォクトレンダーを引退した後、しばらくたってからの事だったに違いない。米国へ移住後も歴史の表舞台に姿を見せることはあまり多くなかった。Tronnierの技術者としての理念や思想を知るには、残された個性豊かなレンズ群と対話し、それらに託された博士からのメッセージを汲取る以外に方法はないのだ。本ブログでは数回のシリーズに分け、Tronnier博士が手掛けたガウス型標準レンズを紹介する。博士の設計思想に触れるとともに、彼の設計したレンズの特異な描写力とその秘密にも迫っていきたい。

今回紹介する一本はTronnierがSchneider在籍時の1934年に開発したXenon (クセノン) 50mm F2である。このレンズは彼が1920年代半ばから手掛る初期の作品であり、Planarの光学系が持つ対称構造を緩やかに崩した非対称な設計を特徴としている。古典的な対称ガウス型(4群6枚プラナー型)からの脱却は当時の最先端の試みとして、後に銘玉と呼ばれるULTRON(ウルトロン)やNOKTON (ノクトン)などの代表作を生みだす源流となった。




再設計によって1935年に5群6枚で登場したXenon 50mmF2。今回入手したのはRetina用Xenon(写真・上段 Sony A7にマウント)とExakta用Xenonの交換レンズ(Eos Kissにマウント)である。このレンズは古典的なPlanar型レンズが持つ張り合わせ構造の前群側をはがした派生物として生み出された。Xenonの開発で確立されたこの種の構造はTronnierが大口径レンズを設計する際の基本形となった

1920年代前半、Xenonの開発に取り組むTronnierはドイツのSchneider社に籍を置く若い技士だった。レンズの設計者として、まだ駆け出しだった彼に課されたのは、ZEISSの Paul Rudolphが1896年に設計したPlanarを改良し、更に優れたレンズを発明することだった。彼がまず注目したのは1920年に英国Taylor-Hobson社のH.W.Leeが発明したOpicである。OpicはPlanarの対称構造を緩やかに崩すという着想から生み出されたレンズであり、旧来の対称ガウス型の設計に比べて球面収差、色収差、像面湾曲収差を良好に補正できるという優れた性質を備えていた。Tronnierは1925年にまずOpicと同等の4群6枚の光学系を持つXenon F2を開発(German Patent #DE439556)、1934年の改良では対称性を更に崩し前群の張り合わせまでをも分離させた5群6枚の2代目Xenonを開発し、この光学系がOpicの長所を引き継ぎながらコマフレアと像面湾曲の同時補正を可能にする優れた設計であることを示したのだ(US.Patent #2627204-#2627205)張り合わせ面の分離は設計に自由度を与え、収差の高度なコントロールを可能にする。トロニエの設計した2代目xenonは像面の平坦性を保ちながら中間画角から周辺画角にかけて発生するコマフレアを抑え、ヌケの良さとコントラスト性能を向上。また、非点分離が従来の対称ガウス型レンズよりも小さく、旧来の設計がピント部の四隅にかかえていた弱点を見事に緩和したのであった。しかし、当時は今とは違いコンピュータによる設計を人の手作業でこなしていた時代。光学系の構造が1群増えるだけでも設計者がチューニングに費やす負担は、はかり知れないほど増大したのである。
光学系の変遷: 左から対称ガウス型のPlanar(1896, Rudolph)、非対称ガウス型のOpic(1920, Lee)とXenon(1925, Tronnier), 変形ガウス型の2代目Xenon(1934/発売は1935年頃, Tronier)。2代目Xenonは第2群の凸レンズと第3群の凹レンズが分離しており、コマ収差の補正が強化されている


Xenonは1930年から一般カメラ用レンズとして供給されるようになった。最初はNagel社のPupilleというカメラに細々と供給されていたが、1931年にNagel社が米国Kodak社に買収されドイツコダックになったのを機に、1934年からは新製品のKodak Retinaシリーズに対しても供給されるようになった。Xenonの生産量はRetina/Retina IIの大ヒットに牽引されて1934年半ばから急増している。また、この頃からExakta用レンズも供給するようになり、レンズ単体の魅力で勝負する交換レンズ市場に打って出ている。当時のライバルはZeissのBiotarと英国Dallmeyer社のSuper Sixである。高度な設計技術により生みだされたXenonはライバル達が抱えていたフレアの問題やグルグルボケの症状が殆ど表れず、ピント部四隅での画質低下の少ない、当時としては大変優秀なレンズであった。おそらくトロニエは収差を徹底的にキャンセルする光学計算を日夜繰り返し、膨大な労力を費やしていたのであろう。しかし、そうした力みは当時まだ殆ど意識される事の無かったアウトフォーカス部の画質(ボケ味)に想定外の影響を生みだしてしまった。Xenonの撮影結果には収差の過剰な補正による強い2線ボケが発生し、先に述べたライバル達からの優位性は殆ど薄れてしまったのである。光学系の構成が複雑でハレーションを生みやすいという弱点もあり、交換レンズ市場ではOpicと同等の設計を持つBiotarに押され、Biotarより2~3割安く売られていたにもかかわらず、シェアを全く伸ばすことができなかったのだ[注1]。当時の写真家たちはXenonよりもBiotarをより高く評価したのである。XenonはBiotar(Opic型)の光学系を起点にTronnierが改良を重ねて完成させたレンズであり、この敗北は設計者Tronnierにとって相当に屈辱的な出来事であったに違いない。戦前のXenonは固定装着用レンズまで含めた総数で見れば、Biotarよりも多く売られた。しかし、それはRetinaの爆発的なヒットによるものであり、Retinaの牽引なしにはありえなかったことを先の敗北は決定的に意味していたのだ。 若い設計技士Tronnierはこの敗北から何を学んだのであろうか。Xenonはトロニエが正攻法で開発し育ててきた初期の代表作であり、設計者人生の原点とも言えるレンズだ。「写真は標準レンズに始まり標準レンズに終わる」なんて格言をよく耳にする。写真に関わる人々にとって標準レンズは基本であり到達点でもあるという意味だが、それは設計者にとっても同じことであろう。Xenonによる苦い体験はTronnierの設計哲学に少なからず影響を与えていたに違いない。そして、いつの頃からか彼は収差を徹底的に封じるというスタイルを改めることになったのである。

注1・・・Xenonは1925年に4群6枚の構成で開発され、翌26年3月にプロトタイプとなるマスターレンズが造られた。20年代後半は製版用など特殊用途向けに若干数が製造されるだけであったが、1934年半ばにはKodak Retinaシリーズ向けに5群6枚構成へと設計が改良され大量生産されるようになった。生産本数だけで見れば戦前に造られたダブルガウス型レンズとしては、最も多く市場供給されたブランドになる。これに対し、交換レンズ市場でのXenonは影の薄い存在であった。たとえばExakta(35mm)用に造られたXenonはライバルのBiotarより2~3割安価に売られていたが、戦前のBiotarの出荷量が5600本強であるのに対しXenonは1300本弱と奮わず、戦後の復興期である1945-1949年にはBiotarが25000本強も出荷されているのに対しXenonは僅か320本であった。高級なナハト・エキザクタの交換レンズ市場においても、XenonはBiotarより安く売られたが、総出荷数はBiotar 80mm/F2が1880本であるのに対しXenon 80mm/F2は僅か27本であった。XenonはKodak Retina用に供給されたものが大半であり、他社との販売競争を繰り広げた交換レンズ市場での需要はあまり高くはなかった(Schneider-Kreuznach band I-III, Hartmut Thiele 2009と、Fabrikationsbuch Photooptik II, Carl Zeiss Jena 1927-1991を参考)。

Xenon 50mm F2(Exaktaマウント用): 重量約190g, 構成 5群6枚(変形ガウス型), フィルター径29.5mm, 絞り値F2-F16, 最短撮影距離約75cm, 絞り羽15枚, 絞り機構は手動。第二次世界大戦前の初期のロットにはガラス面にコーティングが無く、戦後(あるいは戦時中)からの適用となったようだ。本品は1949年に製造された200個体のうちの1本で、ガラス面にはブルーのコーティングが蒸着されている。レンズ名の由来は原子番号54のキセノン原子、あるいはこの原子の語源となったギリシャ語の「未知の」を意味するXenosと言われている
Xenon 5cm F2(Retina用): 重量(実測)80g, 構成は5群6枚(変形ガウス型), フィルター径 29.5mm, 絞り羽 10枚, 絞り F2-F16, マウントネジ径 25mm, シャッター シンクロ・コンパー(1/500s), 本品は1939年の製造個体で薄いコーティングが施されている
 
入手の経緯
Exakta用Xenonは2011年1月にeBayを介して米国カリフォルニアの中古カメラ業者サウスサイドカメラから169㌦の即決価格(送料込の総額は202㌦(1.7万円))で落札購入した。商品の状態はFine conditionで「チリ、カビ、バルサム切れはない。僅かな傷がある。絞り羽根にオイルは回っておらず、しっかり開閉する。鏡胴にはややスレがある。写真を見てくれ」とのこと。Exaktaマウント用のXenonはややレアなレンズであり、状態の良いものはeBayでもなかなか出てこない。届いた商品には確かに前玉に拭き傷が少々あったが、実写には影響の無いレベルでありクモリもなかった。本品にはクモリ玉がたいへん多いので経年を考えた場合の保存状態としては上々。eBayでの落札相場は150-200ドル程度であろう。
Retina-Xenonは知人からブログで使ってくれと頂いた品である。もともとはKodakのレンズ固定式カメラRetina Ⅱ/Ⅲに搭載されていたレンズのためレンズ単体で売られていることはない。いろいろなパーツを組み合わせM42ヘリコイドチューブに搭載しミラーレス機で使用することにした。前玉表面に拭き傷と軽いヤケが見られたが実写には影響のないレベルであった。

撮影テスト
ピント部は解像力が良好で、戦前のガウス型レンズとしてはコマも良好に補正されている。シャープでスッキリとヌケの良い描写である。ただし、ピント面を重視しすぎた過剰な球面収差の補正により背後のボケが硬くなり、開放では2線ボケが顕著に表れる。この場合、コマを少し残存させ背後の2線ボケを覆うことで柔らかいボケ味にするという手段もあるが、若い時代のトロニエのレンズからは収差を利用するというよりも徹底して補正しているという正攻法の設計理念が伝わってくる。開放ではグルグルボケがやや出るものの戦前のガウス型レンズとしてはかなり良好に補正されている。空気境界面が多い設計仕様のた厳しい逆光ではゴーストやハレーションが出る。以下作例
Exakta Xenon @F2(開放),  銀塩撮影(Uxi super100):ヌケがよくピント面は周辺部に至るまでとてもシャープである。コマ収差、非点収差を有効に抑えながら像面湾曲もよく補正されている。開放絞りで撮影すると、ご覧のように距離によっては2線ボケがかなり目立つ結果となる。解像力を重視し球面収差を過剰補正したことによる副作用といえるだろう
Exakta Xenon @F2(開放), 銀塩撮影(UXi super100): グルグルボケは最も激しくてもこんなものでBiotarよりも良好である。前玉のキズのせいか少しハレーションがでた
Exakta Xenon @F8, 銀塩撮影(Uxi super100):絞ればコントラストは高く、シャープだ。味わいのある温調(黄色)気味の発色になっている
Retina-Xenon @F5.6+Sony A7(AWB): こんどはデジタル撮影。マクロ域でも写りはシャープだ
Retna-Xenon @F4+ Sony A7(AWB)  コーティングが入っているとはいえ古い時代のもの。厳しい逆光ではゴーストやハレーションはさけられない
Retina-Xenon @ F2(開放) + Sony A7(AWB): 近接撮影では収差変動のため球面収差がアンダーに変化しボケ味は柔らかい拡散となる
Retina-Xenon @F5.6+Sony A7(AWB):


2代目Xenonによって確立された高度な設計(変形ガウス型レンズ)はコーティング技術やガラス硝材の進歩に援護され、後のSummicron-R (50/2)や新型Planar、現代の日本製レンズにも数多く採用されている。Tronnierは時代の遥か先を行く先駆的な設計を考案していたのだ。開発当時の周辺技術がそれを支える程まで成熟していなかったのは大変不運な事である。なお、1960年代に造られた後継モデルのXenon 50mm/F1.9はBiotarと同じ古典的なPlanar/Opicタイプの設計に退行してしまった[注2]。一方、2代目Xenonの設計は歴代のXenonの中でも異質な存在であり、Ultronタイプと呼ばれることがある。

注2・・・ここで述べているのはXenonの後継品の性能が退化したという意味ではない。ガラス硝材が進歩すれば、わざわざ光学系の設計自体を複雑化させなくとも、同等な性能のレンズを実現させる事が可能だからだ。光学設計による描写力の改善を外科治療に例えるならば、硝材の進歩による描写力の改善は内科治療みたいな関係となる。私自身、後継モデルの大ファンだ。
 
Xenonは若く純粋な技士Tronnierが従来の設計思想を踏襲しながら正攻法で開発したレンズだ。ライバルBiotarが採用したOpic型の設計を高度化し心血を注いで完成させたレンズは、交換レンズ市場におけるBiotarとの勝負に完敗してしまった。世の多くの写真家たちはXenonよりもBiotarの魅力に軍配を上げたのである。苦労して新設計を発明した事に一体どれほどの意義があったか・・・。Tronnierは虚しさのあまり、恐らくこの時にグレちゃったのであろう。そして彼はフォクトレンダー社への移籍後、事も有ろうにXenonの光学系をベースに据えた魔鏡Ultronの設計に着手するのである。